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パナソニックグループで30年務めた人事パーソンが語る、自己変革の軌跡
パナソニックグループで30年務めた人事パーソンが語る、自己変革の軌跡

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コーチングを通じて、人はいつからでも変われる——。パナソニックグループの複数企業で、入社から30年以上にわたり人事の最前線を歩んできた栃谷恵里子氏。人事のキーパーソンとして事業再編や組織変革を担ってきた彼女自身も、大きな転機を前にmentoのコーチングで「新たな気づきを得た」と話します。

「導かれる」キャリアから「自分で選ぶ」キャリアへ。人事のプロフェッショナルはいかにして自己変革を遂げたのでしょうか。コーチの浅井宗裕氏とともに、その軌跡を振り返ります。

プロフィール

栃谷恵里子(とちたに えりこ) パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社 人事戦略統括部 統括部長。パナソニックグループにて30年以上人事畑を歩む。事業再編や組織変革など、パナソニックの変革期に人事のキーパーソンとして組織づくりを担ってきた。特に、事業会社化に伴う人事戦略の策定、人事制度の刷新など、人事領域における難題に立ち向かい、組織を牽引。

浅井宗裕(あさい むねひろ) mento登録コーチ/株式会社メルカリ CEO室マネージャー。2019年からコーチングを始め、累計2000時間以上のビジネスコーチングを実施。経営戦略の実務と並行して、組織開発、人材育成、リーダーシップ開発など、ビジネスパーソンの成長支援に携わる。エグゼクティブ層から若手まで、幅広い層の変革を支援し、組織と個人のポテンシャルを最大化することに情熱を燃やしている。

「導かれる」ままに築いてきた、人事30年のキャリア

浅井:栃谷さんは30年以上も人事のキャリアを歩まれていますが、そもそも興味のある職種だったんですか?

栃谷:不思議なことに、自分で手を挙げて次のポジションへ異動したことは一度もないんです。そもそも最初の人事配属も、実は営業職になるはずだったくらいです。

浅井:それは意外ですね。どういう経緯だったんですか?

栃谷:入社時の名簿を見たら、私の職種には「営業」と書いてあって。でも、研修期間中に「人事に1人回さないとならない」となったらしく、気づいたら人事に(笑)。そこから、30年も人事を続けるとは思いもしませんでしたが、様々な転機もありました。例えば、松下電池工業では13年ほど働いて、その間に2回産休・育休を取得しました。

浅井:その後はどうされたんですか?

栃谷:子育てが落ち着いてきて、現場寄りの仕事、例えば「工場の人事」をやってみたいと考えていた矢先に、全く逆の本社人事への異動を命じられたんです。当初は戸惑いましたが、結果として10年務めることになりました。その後も、グローバル営業部門の人事責任者や、パナソニックインダストリー(PID)での人事制度改革など、予期せぬ役割を担うことになっていきました。

浅井:その展開は、まるで何かの力学が働いているかのような……。特にPIDでの経験は大きかったのではないでしょうか?

栃谷:そうですね。パナソニックグループの持株会社制への移行に伴う事業会社化という大きな変革期に、人財戦略・人事制度を見直し、創造する機会を得て。まさにゼロからのスタートで難題の連続でしたが、メンバーと力を合わせて制度を形にしていく過程は本当にやりがいがありました。私なりに全力を尽くし、素晴らしいメンバーたちが引き継いで形にしてくれました。今、彼らが自信を持って社内外に発信している姿を見るのは本当に嬉しいことです。

会社として、個人として、迎えた大きな変革期

浅井:そして昨年、パナソニック オートモーティブシステムズ(PAS)への異動が決まったわけですね。ちょうど、私たちのコーチングセッションが始まったタイミングでもありました。

栃谷:そうなんです。PIDでは事業会社制に伴う様々な変化の中で、「部課長がマネジメントに苦労している」という課題がありました。そこで、部課長の支援にコーチングが活用できるのではないかと考え、mentoを導入したんです。導入にあたり、仕掛ける立場として効果を確認する意図もあり、私も受けさせて頂きました。実は、当初他の方のコーチングを受けていたのですが、なかなか効果を実感できずにいました。

浅井:コーチとの相性やタイミングもありますよね。

栃谷:そうかもしれません。あるいは、当時の私は仕事は大変だけれど充実していて、大きな悩みがなかったせいかもしれません。ただ、年齢を重ねるにつれて、パナソニックを出た次のキャリアも考えないといけないというもやもやは抱えていました。それが、PASへの内示を受けたことで、状況ががらりと変わりました。そのタイミングで浅井さんとの新しいコーチングセッションが始まり、私自身のコーチングへの向き合い方も変わりました。

浅井:お話しして、栃谷さんはご自身の本音を、無垢で悪気のないゼラチンで包み込んでいるような印象を受けました。決して心を閉ざしているわけではないけれど、根っこの部分が見えない。その芯に光を当てることが、コーチとしての私の役割だと感じました。最初にお会いした時の栃谷さんは、かなり「もやもや」を抱えておられましたよね。

栃谷:ええ。PIDでの取り組みはまだ道半ば、そのタイミングで私がなぜPASへ?という気持ちもありましたし、昨年10月にPASに来て、その翌月にApolloという会社が株主として経営に参画することが発表されました。正直なところ、自身に求められていることが何なのかを理解できず、最初は「PASともがきながら戦っている」ような感覚すらあって。

浅井:コーチングでは、「魂をPASに持っていかれている感じ」とおっしゃっていましたね。

栃谷:でも、不思議なことに「逃げ出したい」という気持ちは全くなかったんです。浅井さんとセッションを重ねる中で、少しずつ自分自身の変化に気付き始めました。

浅井:どのような変化があったのでしょうか?

栃谷:自分自身を深掘りして理解が進んだことで、状況の捉え方が変わりました。今後、私に求められるレベルがこれまでとは全然違ってくるであろうことを肌感覚として持ち始める中で、それまでの私はパナソニックグループといういわば「大きな箱の中で守られてきた」のだと理解するようになりました。でも、世の中ではこれから生じることは当たり前なのかもしれない、という気づきがありました。そして、ハードルは高いけれど「一緒に働くメンバーを守りながら、きちんとこの大変革の先に皆を連れて行く責務がある」と考えられるようになったんです。

浅井:人を大切にし、仲間を守る。それは、栃谷さんの揺るぎない信念なのでしょう。

栃谷:そうかもしれません。今回、Apolloという外部からの強制的な変化があったことで、自分の視野が広がったように思います。以前なら躊躇していたような変化も、今は「私がやれることがある」と前向きに捉えられるようになりました。

浅井:世界の見え方が全く変わりましたね。

栃谷:私にとってパナソニックグループでの最後のキャリアが、おそらくPASであることに、今は素直に感謝しています。この大きな変革期に立ち会えることは、ある意味で恵まれているのかもしれないと思えるようになりました。

「自分らしさ」と向き合った対話の深まり

浅井:栃谷さん自身の大きな自己変革につながった話を伺えて、コーチとして本当に嬉しいです。コーチングを通じて、特に印象的な気づきはありましたか?

栃谷:なぜ私はここまで一生懸命仕事をしてきたのか。これまで育ってきた環境や両親との関係、私の家族との関係など、さまざまなことを話すなかで、すべてはつながっていて、自分で今を選んでいるんだなということがわかりました。

浅井:「わがまま」という言葉が出てきたセッションもありましたね。

栃谷:ああ、そうでしたね。「自分はわがままなんです」と言い出して。家族に対してもそうだし、単身赴任をして、自分の働き方を選んで……。ただ、その「揺るぎないわがまま」の裏には、「何かに従属したくない」という強い思いがあって。その思いの裏返しとして「人に役に立つ仕事がしたい」と思っているんだと気づきましたね。浅井さんは、それを私の強みとして「圧倒的自我がある」という言葉で表現してくださいました。他人に流されず、自分の信念を貫くことができるという、私の力強い意志を肯定する言葉でした。言語化していただいたことで、これまでネガティブに捉えていた「わがまま」であること自体も肯定できたと思います。

浅井:そこから「距離感」の話につながっていきましたよね。

栃谷:自分を損なわないように、いつも「何か」と適度な距離感を保ちながら生きてきたのではとご指摘頂きました。私には思ってもみなかったことであると共に、それは人事という仕事でも活きる感覚でもありました。ただ、浅井さんとの対話の中で、「その距離感が取れなくなった時、自分はどうなるんだろう」という不安にも気づかされました。ちょうどPASに移籍した頃ですね。

浅井:それは、プロフェッショナルとしての栃谷さんの「強み」と「縛り」の話とも捉えられます。強みがあるからこそ、これだけの成果をあげられているけれども、一方でその強みが縛りにもなってもやもやすることがある。そしてその前提には、 栃谷さんを規定している価値観があります。それは幼少期からの育ち方や、これまでの経験によって栃谷さんの中に形成されたものです。

その根っこを言い当てて、認知したうえで、「強み」と「縛り」のバランスを取れるようになると楽ですよね。こういった思考の構造は、自分の頭で考えているだけだと、なかなか理解できないものです。まったく利害関係がない立場でコーチが聞くからこそ見えなかったつながりがわかることもあります。

栃谷:言葉にする、という意味では、PASで「前職のPIDとは何が違うのだろう?」と考えていたとき、当時は組織の中に「ソウルメイト」といえる存在がいないことに気づけましたね。それでも、それを認識できたことは、私にとって大きな一歩となりました。

最後のセッションでは、浅井さんから「栃谷さん、既にパナソニックグループで働くということの区切りを自らつけているのではないですか。その感情を押し殺してないですか?」と言われたことも印象的でした。

浅井:表面的には組織の課題を話していたのに、その奥で栃谷さんの「もう区切りをつけてもいい」という声が聞こえてきたんです。実際にどうするかは別として、その感情自体は大切にすべき。あえて、責任を果たして次へ進むストーリーを考えてみるとどうですか、みたいな話も深められました。

栃谷:私にとっては、「いつでも自分で区切りをつけられるんだ」と気づいた時、不思議と心が軽くなったんです。その変化は大きかったです。責任感から「やらなければ」と思い詰めていた部分を手放し、「今は自分が選んでやっている」という認識に180度変わっていきましたから。

自己受容から始まる、組織と人の成長

浅井:これまでの経験を通じて、コーチングの「本質的な価値」は何だと思いますか?

栃谷:結局のところ、「自己を受け入れること」に尽きるのかもしれません。周りの人に関心を持つことは、特に人事の仕事では当たり前のことです。でも、自分自身に関心を向けて、理解を深めるという時間が持てたことが、私にとっては非常に大きな経験でした。自分を受け入れ、承認できるようになることで、人に対してもよりリスペクトを持って接することができる。そういった深いレベルでの変化をもたらしてくれるのが、コーチングの力だと感じています。上司がコーチングスキルを持って部下の話を「聞く」ことも大切ですが、その前提として、まず上司が自分自身と向き合い、自分を受け入れることが重要なんだと気付かされました。

浅井:「もやもや」との向き合い方も大きく変わりましたよね。

栃谷:ええ。以前は「もやもや」を感じたら解決しなければならないと思っていました。でも今は「これは私という人間にとってはもやもやすることなんだ」と、その状況を受け入れられるようになりました。課題は相変わらずありますが、無理に全てを解決しなくてもいい、と自分で判断できるようになりました。

浅井:30年ものキャリアや経験を積まれた栃谷さんでさえ、自分と向き合い、自己変革ができる。この変化は、多くのビジネスパーソンにとって希望になると思います。ぜひこの体験を、良きタイミングで全ての大人たちに経験してほしい、とコーチの一人として感じます。パナソニックグループでの最後のキャリアがPASであることに感謝をしているという話もありましたが、ご自身の変化を通じて今後どのような仕事をしていきたいですか?

栃谷:ただただ目の前のことに向き合い、日々やれることを最大限やっていこう、と思っています。PASは「世界一の『移ごこちデザイン』カンパニー」というビジョンを掲げています。その実現に向けて、人や組織、カルチャーをどう変えていけるのか。社員の皆さんと世の中がよりよくなるように、色々な取り組みができたらと考えています。

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